2017年10月13日

【貴重な歴史資料を、蒸し暑い部屋に積み上げておいていいんですか?】後編

【貴重な歴史資料を、蒸し暑い部屋に積み上げておいていいんですか?】後編

前回に続いて、質問内容と市長の答弁について記していきます。併せて、以下のリンク先の発言通告書もご覧ください。そして全文読みづらいかたは、まずは下線を引いた部分だけ、拾い読みしていただければと思います。


■上記、一問目に対する理事者の答弁(上地市長)

1 歴史資料の保管・活用について

(1)

市史編さん事業の実施により、これまでに収集してきた歴史資料の保存、活用を図るため、現在中央図書館に設置した市史資料室において整理作業を進めているところです。資料は、62,000点と数が多く、当初から資料の整理については3年間での完了を予定していた。空調設備のある市史資料室で室温等を管理しながら、保管状況を確認しながら、慎重に作業を行っているところです。

今後は整理作業を着実に、かつ計画的にすすめる中で、温度・湿度の管理や、防虫処理を要する現物資料に関しては、資料の整理が終了したものから、順次、自然・人文博物館に移管できるよう、スケジュール等について教育委員会と調整を行っていきます。引き続き、できるだけ早期に整理が終わるように努めてまいりたいと思います。

(2)

保管の場所と方法ですが、自然・人文博物館の資料は、その材質等に合わせて適切な温度や湿度等が管理できる部屋にわけて保存しているが、資料が増え続けていて、収蔵スペースに余裕が無くなっているということは事実である。現在、棚の追加、配置方法の見直しを行いながら、資料保存場所の確保に努め、収蔵能力の改善に努めている。併せて、館内にある部屋の用途を見直し、収蔵スペースに転換できないか、検討を進めているところです。

資料の活用方法については、保存状態によるが、博物館内で行う市内小中学校の授業教材として実物を見せるなど、教育活動に活用したり、博物館で開催される市民講座や、大学研究機関からの要請に応える研究利用、テレビなどマスコミによる映像利用に、幅広く活用しています。



2 軍港資料館等について

(1)

ルートミュージアム型は近代化遺産が数多く点在する横須賀の特徴を生かした有力な方向性であると私は考えています。市内を周遊し、実際にそこで何が行われていたのか、あるいはどんな時代に、どう使われていたか、リアリティを持って伝えていく資料館を引き続き具体的に検討。

(2)

本市における軍港資料館のありかたについては引き続き検討をすすめている。平成30年3月市議会定例会では、スケジュールを含めた軍港資料館についての具体的な方向をさせていただきたい

(3)

9月8日本会議公明党代表質問で提案された海洋博物館は、近代日本の先駆けとなり、後の造船大国・日本の基礎を創った、横須賀の軍港としての歴史や、市内に点在する近代歴史遺産について俯瞰をし、横須賀と海の関わりを多くのかたに理解してもらえるような単館型の施設であると、私はイメージしている。

その機能については、現在本市が検討している、ルートミュージアム型での軍港資料館と類似するものと考えていますが、佐世保だとか、舞鶴のように、国が設置運営主体である単館型資料館が、本市に設置されるのならば、より意義深いものになるという風に考えています。



3 歴史的価値・知名度の高い、浦賀の地の今後について

(1)

(ア)

平成3年3月に、浦賀国際文化村構想が策定され、住友重機械工業株式会社浦賀工場が閉鎖された平成15年に浦賀港周辺地区再整備計画が策定された。浦賀のまちづくりを考えるには、浦賀工場跡地の活用が課題であって、これについては住友重機械工業抜きでは、検討することは考えられません。浦賀国際文化村構想が策定されてから約25年、浦賀港周辺地区再整備計画が策定されてから約15年が経過して、社会経済情勢も大きく変わっているために、今後住友重機械工業と連絡を密にし、状況を見極め、これにかわるものをぜひ考えていきたい。

(イ)

旧海軍工廠で使用されていた明治時期の産業遺産を、浦賀ドック内の敷地で保管していることは私も承知している。貴重な遺産であることから、滅失等を避けるために、市が引き取り、教育委員会が管理をしている。いずれも、大きな遺物で、建物内に収容することができないために、ご指摘のような保管方法になっていますが、今後、適切な在り方を是非検討していきたい。

(ウ)

近代日本のルーツになった、横須賀製鉄所に関する産業遺産をはじめ、市内に多く残る近代歴史遺産は、戦後の造船大国・日本の基礎をつくった、歴史を直接物語るものとして、後世に伝えていかなければならない遺産であると考えている。これらの近代歴史遺産については、当然残すべきと考えますが、個々の劣化や保存状態を勘案しながら、後世に伝えられるかどうかは冷静に考える必要があると考えている。

(エ)

川間社宅の解体撤去工事が平成29年6月から始まっており、12月中には完了する計画となっている。平成29年7月28日に別川社長と面会した際にも、跡地の譲渡について再度要望したところだが、市の意向を尊重し、検討したい由の回答をいただいた。

(オ)

浦賀は奉行所やペリー来航など歴史あるまちであるとともに、駅のすぐに海を臨む好立地や、外洋が近く、静穏度が高い入り江をもつ特徴的な地形、ボートパークなどの海洋レジャーも楽しめるなど、非常に魅力に満ちた潜在能力を有していると考えます。したがって私が目指していきたい海洋都市横須賀の象徴となりえる、十分なポテンシャルを秘めているのではないかという風に考える。



(2)

(ア) (イ)合わせて回答

東京から一時間の場所でありながら、豊富な海産物、釣りやマリンスポーツに適した環境、さらには、東京湾・相模湾それぞれが特性をもつ景観、日本の先駆けとなった歴史、重要港湾や、世界最先端の研究機関の存在など、様々な可能性を持っている横須賀の海を、最大限に活用して、まちづくりを進めていこうというのが、私が申し上げている海洋都市構想です。浦賀工場跡地に関しては、様々な活用方法が考えられる、重要な地域資源と考えています。

「テーマパーク」というのは、単にハコモノということではなくて、浦賀工場跡地にあるレンガドック等は歴史的にとても価値のあるものであり、市民に愛される施設として、それ自体がテーマパークになりえるという風に、私は考えている。チラシの記述については、特に住友と話し合いをして踏まえたものではなくて、私自身が、海洋都市構想の象徴的な取り組みとして考えたものです。具体的にはこれから、住友重機械工業をはじめ、地域の皆様と当然ながら、話し合いをすすめながら、活用の可能性を検討していきたい。

(ウ)

まずは別川社長に対して市長就任のあいさつをおこなった。続いて川間社宅解体撤去工事への御礼と、今後、その跡地について、本市への譲渡を強くお願いした。さらに、浦賀のまちづくりについては、浦賀工場跡地の活用が肝となるために、その活用についての協力も求めた。これに対し、別川社長から、浦賀は住友重機械工業の造船の発祥地であり、出来るだけのことは協力させていただきたいとの回答をいただいた。



【2問目 一問一答形式】



■1 歴史資料の保管・活用について

(1)① 進捗どうですか?

▽(加藤ゆうすけ)市史編さん事業の歴史資料について整理をしている最中であることは理解できた。しかし、「当初から3年間での完了目標」という話があったが、事前に担当課にきいた際に、どのくらいかかるか見通しがたたないという話があった。さらに、いったいどの資料が必要な保存環境に移さねばならないのかも見通しが立たないと聞いた。資料整理の現状について、どのように報告を受けているのか。



  • (尾澤総務部長)細かい進捗状況は市長には報告していない。資料が全部で約62,000点あり、経験則から1年間で20,000点の資料整理が可能と見込んだため、3年間という予定をたてていた。今回の指摘の通り、当初は博物館と図書館に分けて保存ということで、資料室を設置しない形で動いていたのが、途中で考え方が変わったということで、こちらも新しい方向性が決まるまで、文書管理について一時期止まっていた時期がある。それもあり、整理全体が遅れている。保管環境を整える必要のあるもの、それほどの手間をかけずとも保管できるものの分類作業がやや遅れているのは指摘の通り。少しずつ軌道に乗ってきたので、3年間の中では収束させたい。




▽(加藤ゆうすけ)そもそも(整理作業の)全体像が整理されておらず、把握できていないのに、当初の予測について、「経験則で、1年間20,000点と計画を立てた」と答弁があったが、あくまでも経験則に基づく予測であって、実際の資料の点数に対して計画を立てたわけではなく、さらにそこからどれだけ遅れているのか数値的に示せない状況にあると認識した。まずはまずは資料の整理、どのくらいの時間がかかるのかしっかり示していただく必要があると考えるが、いかがか。



  • (上地市長)ぜひ検討したい。




▽(加藤ゆうすけ)資料を中央図書館に運び込んだ際にも、はっきりと、一部の資料を自然・人文博物館へ保管することを決めていたわけではなく、「(自然・人文博物館内の資料を)動かせば、置けるよ」という話が前館長となされたのみと聞いている。最終的な保管場所が決まらず、資料がいつまでも空調の効かない会議室の中で保管されてしまうことがないように、市長のリーダーシップのもと、部局横断的に取り組む必要があると思うが、いかがか。



  • (上地市長)前政権から引き継いだものなのですが、前向きに検討させていただきます。




② 市史資料室はいつまで?

▽(加藤ゆうすけ)市史資料室は、市史編さん事業で収集された資料を整理し、市民の利活用に供するための組織と認識しているが、新横須賀市史が発刊されるまでが事業ではなかったのか。恒久的な組織なのか。区切りはいつなのか。



  • (尾澤総務部長)暫定的措置である。最終的には、今検討されている軍港資料館等にも保存する施設があると思いますので、そちらに移管されて、そこで一元管理されるという形を検討する形になるかなと思っている。




▽(加藤ゆうすけ)最終的な整理については、これから協議されるのか。



  • (尾澤総務部長)いくつか選択肢がある。最終的な落としどころ、結論については、もう少し検討する。




▽(加藤ゆうすけ)今「落としどころ」という言葉も聞こえたが、計画に対して、業務を遂行して最終的に完了されるというのが、行政の仕事としてあるべき姿と考える。場当たり的な対応や、落としどころを見つける作業ではなくて、計画に沿ってきちんと行っていただきたいと思うが、いかがか。



  • (上地市長)おっしゃる通り。落としどころなど、ありえない。




③ 最終管理体制

▽(加藤ゆうすけ)続いて、最終的な管理体制として。市内外に埋もれているさまざまな歴史資料の収集や研究は、博物館が有する機能である。専門知識を有する学芸員もいる。以後の収集活動は、市史資料室は暫定措置であるからして、自然・人文博物館が行うべきではないのか。



  • (尾澤総務部長)博物館と市史資料室の役割分担について、最終的な検討はおこなっていない。市の方針として、具体的なものは決定していない




  • (新倉教育長)今回の市史編さんにあたっても、博物館に保管していた古文書等2,000点を、資料として一度出した。今の62,000点の中に、この2,000点があり、それらについては既に燻蒸作業を終えたのち、博物館に戻っている。したがって今後も新たに出てくる資料があれば、当然に博物館の研究課題として収集に努める。そのスタンスに変わりはない。




▽(加藤ゆうすけ)一連の答弁を伺っても、62,000点の今後については、どこが最終的な受け入れ先になるかは今後検討するということで、不安が残るが、承知した。



(2)自然・人文博物館の今後

▽(加藤ゆうすけ)自然・人文博物館は築後40年経過し、昨年度も屋上防水・恒温恒湿室の修繕をおこなうなど、老朽化が深刻であることは質問で述べた通りである。施設配置適正化計画を一度立ち止まって見直すことを市長は明言しているが、自然・人文博物館についても、今後の方針をゼロベースで考えるのか。



  • (上地市長)基本的にゼロベースと理解してもらってよい。




▽(加藤ゆうすけ)以前作られた施設配置適正化計画では、自然・人文博物館については特段の言及はなかった。社会教育系施設が横須賀市にいくつか存在する中で、今後、自然・人文博物館が担うべき機能については、どのように考えるか。



  • (上地市長)総合的に社会教育を考えねばならないという点では、自然・人文博物館は私は好きなので、残していかねばならない。あらゆる場面で総合的に考えたい。




■2 軍港資料館等について

(1)ルートミュージアム型

ルートミュージアム型が有力であり、具体については引き続き考えると市長より答弁をいただいた。さらに、平成30年3月定例議会でスケジュールを含めて議論を行うという答弁までいただいたが、ルートミュージアム型であっても拠点の整備は不可欠と考えるが、いかがか。



  • (野間文化スポーツ担当部長)拠点施設について、ルートミュージアム型では、点在する歴史資産を包括してガイダンス機能として案内できる中核拠点は、このルートミュージアム型の中で考えていきたい。




▽(加藤ゆうすけ)3月に審議される内容の中で、ルートミュージアム型の拠点整備についてもお話が出てくるという理解でよいか。



  • (野間文化スポーツ担当部長)今回議論されているルートミュージアム型の中核拠点について議論を重ねていって、3月には報告したい




▽(加藤ゆうすけ)3月には、何かしらの検討した結果があがってくるということで、大変楽しみにしております。



■3 歴史的価値・知名度の高い、浦賀の地の今後について

(1)ア 浦賀のまちの全体構想

市長の答弁中でも、住友重機械工業抜きで、浦賀のまちの今後を考えることはあり得ない、「浦賀国際文化村構想」(平成3年)、「浦賀港周辺地区再整備計画」(平成15年4月策定)についても、これに代わる新たなものを、とあった。これら2つの計画以外にも、「都市計画マスタープラン」(平成28年3月改定)に記された浦賀のまちづくりに関する様々な計画も含め、既存の構想・計画があるが、市民にとっては「いったい、どれを、いつまでに実行してもらえるのかわかりにくい」状態であることは否定できない。その中で、代わる新たなものを考える、ということで、それらについて見直して、整合性・一貫性を持たせた統合的な計画を新たに作成するつもりはあるか。



  • (上地市長)当然そうなると思う。市会議員の時に、「浦賀国際文化村構想」に対して私一人で反対をした。なぜかというと、民間の土地に対して、どうして横須賀市が絵を描けるのかと疑問を持ち、一人で反対をした。住重の皆様といろいろな話し合いを持ったうえで、どのような絵を描くかという話以前だったので、その話も別川社長に伝えました。ですから、様々なものが行政主導型で出来ていた。もう一度原点に立ち戻って、どういう活用方法になrか、住重と話し合いながら、市民の皆様に入っていただきながら考える。歴史はあるが、ゼロベースで考えて、新しいものをつくっていきたい。




▽(加藤ゆうすけ)浦賀の地が前へ進むのではないかと期待が高まるが、10数年にわたり解決をみなかった課題であることも事実である。積年の課題を解決へと導くためには、これまで以上に、住友重機械工業や、ユニマットライフへ働きかけを行っていく必要があると考えるが、現在市長が想定している働きかけの方法と、これまで本市がおこなってきた働きかけの方法の違いを挙げるとすれば何か。



  • (上地市長)これまでどのようなことを行ってきたか私は知らない。これから、どんどん住重のみなさんとお会いして、一回だけでなく二回も三回もお会いして、意思の疎通をはっきりさせ、もう何回も、何回も何回も、お話をさせていただいて、住重さんの意向、それから問題点、何をしたいのかよく理解したうえで、友好関係を結びながら、何回も足を運び、何回もお酒も飲むこともあるでしょう、ぜひそのような形で、自分なりにやっていきたいという風に思っています。




▽(加藤ゆうすけ)進展があった際には、議会の場で報告をいただけるような、透明性の高い企業と市役所との関係性であり続けることはお願いをしたい



(1)オ 浦賀に期待する役割

▽(加藤ゆうすけ)浦賀奉行所開設300周年の記念事業の詳細については今後決定される予定と認識している。昨日の本会議でも、他都市との連携、まずは函館・下田が大切であろうと話も出ていた。ルートミュージアム型の軍港資料館を検討する中で、300周年記念事業も密接にかかわってくるはずである。これまでも、三浦半島連携など、近隣市との関係性をつくりながら、今後の観光の流れを検討してきた。まずは、近場で、あまりお金のかからない方法で、300周年記念事業の効果を後々へと波及させる方法があると思うが、いかがか。



  • (上地市長)それも含め、検討する。




▽(加藤ゆうすけ)近隣市、近場を含めて考えるとすると、市内でも新たな導線が敷かれることが、この記念事業の効果をさらに波及させる意味で重要だと考える。市長はチラシ「ヨコスカ復活計画」の中で、浦賀ドック跡地の再生に関して記述された部分において「中心市街地からの航路で、リゾート気分を味わいながら来訪」とも述べている。先日の総務常任委員会での一般報告で示された「(仮称)横須賀再興プラン」の概要では、(3)本市が目指していくまちづくりのイメージ①海洋都市 の項において、市内を航路で結ぶ案については特段の言及がなかったが、海洋都市構想に合わせ、浦賀を起点とする海上交通路等について、検討はされないのか。



  • (上地市長)チラシをみていただきありがとうございます。当然、先日の久里浜の課題もあり、できれば様々なことを考えていきたいと思っているが、まだ形は決まっていない。住重との話し合いで、どういう絵が描けるかはまだわかっていない。あらゆる可能性はそこに含めていきたい。出来るならそうやっていきたい。




▽(加藤ゆうすけ)最後になるが、これまで、あらゆる可能性について、何度も住友重機械工業と市長との間でやりとりをされ、出来る限りのことはすると返事をいただいていることも承知している。しかし、市民としては、いつまでにどのような返事がいただけるのか気になるところだが、その、いつまでに・どのあたりまで、という話はいただいているか。



  • (上地市長)人の心はわからない。いつまで、という話は、お願いする立場からすれば、失礼にあたる。向こうの善意で始まるもの。譲渡も含めて、わかりやすい形で。市民の皆様にわかりやすくするつもりだが、交渉事であり、向こうがどのような考えを持っているかまだ先はわからない。スケジュール感は示せない。




▽(加藤ゆうすけ)中でも、浦賀奉行所跡地については、3棟とも解体し、ダスト舗装している。工事完了が目前に迫る中で、跡地の譲渡が決まっていない。お願いベースで交渉している現状は理解できるが、何も決まっていないのは、あれだけの広さの西浦賀五丁目の土地であり、早急に確認する必要があると思うが、いかがか。



  • (上地市長)こちらからお願いする立場。くれますか、くれませんか、いつくれますか、ということは申し上げられない。向こうがいつそういう風にいってくださるかを待つ。




■まとめ

▽(加藤ゆうすけ)交渉事とあって難しい中にあるが、2020年を目前に控え、市民の期待も大きい。継続的に挑戦していただきたい。今回明らかになったこと、一方で、これから検討されるところとありましたが、今後の委員会等、期を捉えて、質問をいたします。以上で終わります。ありがとうございました。




…長々と書きました、今回の質問で明らかになった点で、今後本当に注意して見なければと思うのは、

  1. 市と民間事業者(住友重機械工業など)がやりとりをする過程

  2. 当初ひいたスケジュールに対する進捗


だと思うんです。「計画行政」という言葉があるくらいですから、計画に則って、着実に実行することが、まず行政には必要です。さらに、その過程は、透明で、常に市民につまびらかでなければならない。当たり前のことですが、下線を引いた部分なんかをご覧いただくと、ちょっとその当たり前に対する不安も覚えたので、注意していきます。

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