2022年02月20日

【自治体の福祉政策財源】

 土曜日は議会は無いので、少し「令和4年度(2022年度)予算の概要」から、ちょっと大きな話ですが、自治体の福祉政策財源に対する考え方について触れたいと思います。









■好ましい連鎖の流れを広げると掲げた上地市長





 上地市長は「1 予算編成の基本的な考え方」として、「地域に根差す人々をしっかりと支え、にぎわいや活気を取り戻し、経済を再興させることで増加した税収を福祉に投入する」という「好ましい連鎖の流れ」を広げる考えを示しています。





 「市民が将来に向けて夢を描ける、躍動感に溢れていたかつての横須賀の復活に向け」(2018年度予算の概要)という、正直はっきり申し上げてノスタルジーにあふれピントがずれていた内容から比べて、非常にまっとうな方向性だと私は考えます。財源無しに政策はできませんし、地方自治の観点からすれば、財源についての考え方が、国や県からの獲得という依存財源ではなく、自治の中で生み出す自主財源にベースを置くことも重要だと思います。今回示された、今後4年間の計画である「横須賀再興プラン(2022-2025)」の「最重点施策」の5つの柱の一番目に「地域で支え合う福祉のまちの再興」がきたことも、印象的です。前回の「横須賀再興プラン(2018-2021)」の一番目の柱は「経済・産業の再興」で、「地域で支え合う福祉のまちの再興」が二番目に来ていたことと比べて、印象的です。





 対話し続けることで、変わるものなのだなぁ、と率直に感じています。









■福祉財源は誰が担うべきなのか?





 自治体議員としては、自治体側に対し、財源の裏付けある適正な福祉政策を求め、監視していく立場にあります。一方で、一歩引いてみたときに、「その福祉財源は、誰が担うべきなのだろうか?」と思うことはあります。ここからは、ちょっと直接の今回の予算の概要からは外れます。





 ●国と地方の関係





 まず、国と地方の関係で言えば、国が確実に確保すべき福祉財源の範囲とはどこまでなのか?という論点があります。国が国民にすべき行政水準のことをナショナルミニマムといい、憲法第25条がこれを確保し、これに基づき生活保護法、国民年金法などが立法されています。当然、直接に憲法第25条を引用する法律以外にも、障害者福祉、児童福祉、高齢者福祉などの分野で、国の費用負担を明確にするものが多数あります。こうした政策は、実際には市町村を通じて行われることが多く、このため自治体には「国庫負担金」というかたちで、国の仕事を地方が代わりにやるためのお金が入ります。





 一方で、自治体によってまちの成り立ちは全然異なるので、そのまちに合った福祉のありかたも当然変わります。ここに、地方自治が必要な理由があります。地方自治が必要な理由は、教科書的に言えば、①中央政府の権限を地方政府に渡して、中央と地方の適切なバランスを作って権力の集中を防ぐ、自由主義的な仕組みである「団体自治」と、②各地域の問題をそれぞれの地域の住民が自ら解決する「住民自治」 の2つからなるわけで、ここでは後者の「住民自治」の中で、より適正な福祉の仕組みを自分たちでつくっていこうよ、ということです。





 ただし、当然、「では、どこまでは国がちゃんと面倒見るべきことで、どこからはその地域の独自色といえるの?」という線引きが、常に争点となります。





 非常に具体的な例で言えば、未成年者の医療費を無償化する自治体の流れというのは、近年「自治体間合戦」の様相を呈していました(ごめんなさいちょうどいいまとめ論文などあれば貼ればいいのですがみつからず)。





●地方の主体同士の関係(行政機関・コミュニティ・個人)





 また、地方の主体同士における「福祉財源って誰が担うの?」という論点もあります。住民が、税を行政機関に支払い、行政機関は税を福祉サービスに変えて住民に提供します。コミュニティも、構成員が何らかの支払いを行い、それを基に福祉サービスを構成員に提供します。





 ここでいつも論点になるのは、「どの福祉課題が、どこまで個人的に解決すべきことで、どこまで社会的にみんなで解決すべきことなのか」という点です。





 行政機関・コミュニティ・個人の担うべき範囲は、そこまで明確にわかれているものではないため、近年「地域コミュニティの弱体化」が言われるように、コミュニティの力が弱まれば、福祉サービスの担い手確保は行政機関か個人により大きく負担が傾き、つまり福祉財源の支払い手も、行政機関か個人に負担がかかっていくようになります。以前のブログでお伝えした、財政の構造が、投資的経費重視(=社会が発展途上なので、公共施設や道路などをどんどん作らねばならない時代)から、社会保障費重視(=少子高齢化や医療の発達による福祉の経費が必要な時代へと変化した背景には、コミュニティの弱体化の影響もあります。





■では、どうすればいい?





 私は、誰しもが、大変な障害を負って人生をスタートしたり、途中でつまづいて動き出せなかったり、人生の集大成としての高齢期を過ごす中で、福祉の受け手になるわけですから、その負担を極端に個人化するわけにはいかないと考えています。一方で、このまま行政機関に負荷を求めすぎても、結局は本当に必要なサービスが肝心な時に提供されないほどに地方自治の力が弱くなってしまえば、誰もが不幸せになってしまうため、慎重に見ています。





 国と地方の関係性でいえば、国も地方も財源に余裕がないのは同じであり、行政機関・コミュニティ・個人の担うべき範囲も、明確にわかれているものではない中です。「地域に根差す人々をしっかりと支え、にぎわいや活気を取り戻し、経済を再興させることで増加した税収を福祉に投入する」という「好ましい連鎖の流れ」を広げることに基本的に賛同し、そのうえで、「ちょっと前のめりに横須賀市のメリハリの効いた福祉を打ち出す」という「ちょっとずつ改革」が、今の私の考えです。


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