2017年08月01日

【500年後の市民に何かを伝え残すなら、石板に刻むのが合理的なのかもしれない】


【500年後の市民に何かを伝え残すなら、石板に刻むのが合理的なのかもしれない】




市議になってから色々なことを調べているんですが、その中の一つに「どうやって横須賀市に起こったことを将来まで残すか」というのがあります。




当然、残すには、何に記録するのか、という問題が出てくるわけですが、




・ちゃんとした形で残る(完全性)



・プライバシーや秘密は守らねばならない(機密性)



・ぱっとハッキリ見てわかる(見読性)



・どこにあるかすぐわかる(検索性)




なんかに気を付けながら、かけられる費用とにらめっこする必要があるようで、そうすると、「なんでもかんでも電子化!」というのは、短期的には便利でも、こと長期保存となると、案外向いていないことなんかもわかってきました。






よく、被災地で、「この災害を後世に伝え残すために、どうすればよいか」話題に上っていましたが、災害のみならず、市史として記録すべきことの中には、「石碑」が合理的である場合も、それこそ数百年単位の保存を考えると、あり得るんじゃないかと思うぐらい、深いテーマです。

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